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「僕ね、いじめしてしまったんだ」いじめた子が打ち明けられる環境を

自分もいじめを体験したことがあり、
また娘もいじめを体験した私が

 

ずっといじめについて考えてきました。

このブログでも書いたかと思いますが
我が子のいじめには
相手のお子さんの環境や事情が見えてきて

人間だな~と、
行為は憎み、
その子を憎まず

その思いで向き合ってきました。

いじめをしている子どもたちは
いくか環境に特徴があります。

そもそも
いじめは「だれでも加害者になってしまう」と
私は思っています。

なぜかというと、
人には「感情」というものがあり、
その感情は「喜怒哀楽」があります。

 

喜び
怒り
哀しみ
楽しみ

そこから
哀しみから憎しみが生まれたり
怒りからさみしがが生まれたり

 

人間の喜怒哀楽には
そんな「変換器」がついているのです。

その末端に「行動」がついてきます。

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うちの子いじめをしているのでは・・
そう不安になっているお母さんへ

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いつもいじめの論点は
いじめをされている側の人間ばかり取り上げられます。

ですが、いじめをされた子が
いじめをするケースもあります。

またいじめていた子が
いじめをされるケースだってあります。

いじめをされた人間の気持ちを考えるなら
いじめた子の気持ちをと受け止めて
それがどうして起きて、
そしてその責任をどうやってとるかを学ぶ場所が少なすぎます。

「ぼくね、いじめをしちゃったよ」

こう言えル場所。

そして心から自分もその気持ちを受け止め
改心できる場所。

そこから復活していく子どもこそ
本当の優しさを持てる人間になるのだと
私は感じた出来事がありました。

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ある事件で学校側が

いじめにより自死した子と
いじめをした子の将来、どちらが大事ですか?

 

という、

とてつもなく信じがたい報道を耳にしました。

 

私は

いじめをした子どもたちが

それをしたからといって将来復活できないとか
生きていけないと思う大人がいじめを大きくすると考えています。

 

”いじめは到底許せるものではない”という事実と
”だから、その自分の行動をどう受け止めてこれから生きていくのか”という

教育がないですよね。

 

 

そして、

そのいじめをしてから命を落とした子がいたとしたら、
した子にも大きな傷を負うケースもあります。

 

傷にもならずに、
無感覚でいる子でいきていく子がいるかもしれません。

 

前者は、今度は自分自身の輝きを見つけられず、
一生傷がいえないまま生きていきます。
輝く将来はありません。

 

また、後者はどうでしょうか。

その行為を大人が正せないまま、
成長する事で

その子が大人になり家庭を持ち
仕事につき、
その子は大人になり
どんな周りに悪影響を与える言動をしていくのでしょうか?

本当に怖いのは、
そのどちらからではないのでしょうか?

 

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いじめは許せない行為です。

だからこそ、

「僕、いじめちゃったんだ」という

してしまった側の「受け止める場所」が必要
いじめを「封印する」などという学校の行為は
これは教育ではないと感じています。

 

もし、
あなたが、軽い気持ちでいじめをして
その子が命を自ら絶ってしまったらどうでしょうか・・・

一生傷を負って行くのはあなたです。

考えないようにしていても
それは悪夢のようにつきまとうでしょう・・・

 

人にはいじめる心と同時に
善悪をわかる心や
優しい心もあります。

自分の中に
その優しい善悪の善の自分が
悪の自分を責め続けることは
どれだけその子を追いやることになるでしょうか・・・

これは、
大人が変えて行かねばなりません。
学校がしないなら、
子どもをもつ親御さん一人一人に課される課題ですね。

 

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救われた先生からの一言
娘のかつて幼稚園の時体験したことがあります。

いじめではありませんでしたが、
自分より小さい学年の子に、
悪い押しつけをしていました。

 

本人の人権問題もあり
ここでは公表しませんが、
それを「いじめ」と判断する人もいるかもしれません。

 

自分は一人、相手は数人。
いじめではないにしても、
年上という「力の権利」を使って押しつけた
とても許せる「行為」ではありませんでした。

ただ、
そのとき私は
通っている園の先生からある言葉をいただきました。

先生「お嬢さん、その行為は注意すべきことです。
園ではその場でいけない行為だと、叱りました。」

 

私「はい・・申し訳ありません。
叱っていただきありがとうございます」

先生「でも、同じ学年でいつも、立場が弱くていつも何も言えずに
そのストレスとかあったんでしょう。

これは、お嬢さんの成長の時間でもありますよ。

だから、行為はもうきちんと注意したので、
お母さんは、お嬢さんが成長した過程でおきた
自分もそうしてしまった現象を受け止めてあげてくださいね。」

 

私「・・・」

 

先生「学年が小さい子だったから、
自分もようやく強い自分をだせたんです

お嬢さんにとっては初めて出せた、良かった事でもあるんですよ。
もちろん行為はもう絶対させてはいけないですけどね。」

 

私は、この言葉に本当に救われました。

 

なぜって、
学年が小さい子にするって
それは弱いものいじめでしょう?

許しがたい行為でした。

 

しかし、
それは我が娘も同学年にされている事だったそうで、
園の先生はそれを私に教えてくださりました。

その気づきをいただいた先生には
とても感謝しています。

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小6のお嬢さんの懺悔の手紙

娘が小6の時
ひどいいじめにあい、死んでしまいたいと本気で思っていた期間に、
「あの子は、我が子にどうしていじめてきたんだろうか・・」

という発想になれたのは、
その幼稚園時代の出来事がおおきかったのかもしれません。

親子で悩み苦しみ、
しかしその行為は許せなかったのですが、
その子の苦悩があるのではと感じていました。

 

そして、
よくよく知ってみると
その子にはやはりとても悲しい現実が起きていました。

娘とその悲しい事情は全く関係ありませんでしたが、
いろいろな複雑なストレスに耐え切れずに
起きた出来事で、
幸せそうな娘に刃を向けてきたのでした。

小6の最後に
娘はいじめを指令していたお嬢さんから
一枚のはがきをもらいました。

それは
本人の娘をいじめをしてしまった後から
一人で、ひどく悩み、
一人で向き合った結果の、
「懺悔」の手紙でした。

 

「あの時は本当に悪かった・・」

という内容から、自分の苦悩が書かれていて、
許される行為ではないけれど、
本当に許してほしいと・・・。

 

これを読んで
みなさん一人一人
それぞれ感じ方は違うかと思います。

 

そんなので許せたら
警察はいらないよね。

 

それもごもっともです。

いじめは、許しがたい卑劣行為です。

けれど、
私たち人間には
先に述べた「喜怒哀楽」という感情があるのです。

幼いころは、
それが扱い方がまだできない事で
お友達が犠牲になることもあります。

だから、それを
周囲の大人が知っておくことが大事なんですね。

「憎しみ」は「哀しみ」であったり
「ひがみ」は「自身の無さ」からきていたり。

 

相手に武器を向けないと
自分に攻撃したいくらい辛い事が起きていることもあるんです。

そして、それを
簡単にする「癖」をつけることが本当に怖いです。

自分の哀しみの解決方法が、
相手を傷つけることで、それが快楽になり、
ゆがんだ快楽から、相手のお子さんの死に追いやることだって起きてきます。

その子に

「武器を持たせない」場所は
やっぱりその子を受け止める場所があることから
未然に防げるのです。

 

 

もし、
これを読んでいるのが
親御さんや、お子三と関わる仕事をしていたり
環境があるのであれば、
そのあなたが、その子の「オアシス」になれるかもしれません・・・

 

いじめ問題は
こんな所から少しずつ

「優しい心を広げていき幸せの連鎖」を作っていくことから

だと感じています。

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どうしても辛い
悲しい・・・

自分の行為が許せない・・・

そんな方がいたら
私にメッセージくださいね。

 

一人で悩まず、抱え込まず
そっとお話してください。

かなえ💓

 


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