プロフィール

 

佳苗のプロフィール
メンタルトレーニング&メンタルケア

人生、太陽の光で燦々と生きていくような時期もあるし、
時に大雨、嵐のような時期もあります。
そんな人生をトレーニング&セラピーでより自分らしく輝けるための
お手伝いをしています。

 

私にも人生の太陽の光に恵まれた時期もあれば、
そしてまた嵐のような時期もありました。

今・・・そのの中にいるのかな・・そう感じる人。
私はその嵐の中にいる人がを見られる為にその「案内人」となりたい。

この想いが私の活動の原点です。

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伝えいたい事

伝えたいこと①
未来は自分で変えていける!

伝えたいこと②
「子供たち」は宝の原石です。
そしてその宝をより光らせるのは、まぎれもない私たち大人です。

伝えたいこと③
十人十色自分にあった、生き方・考え方・自分の使い方を知っている事が大切。

伝えたいこと④
自分を大事にすること。まずはこれが一番大事♪
人を幸せにしたいなら、まず自分が幸せになることです。

伝えたいこと⑤
たとえ雨が降っている状況でも・・・そこに「虹」がかかる事を望めば
きっと未来には虹がかかります。


ふわふわっ
とした優しさと
とした強さを・・・。
そして
をかなえましょう!

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このブログでは、私が取り組んでいる
「メンタルサポート」(メンタルケア&トレーニング)について記述しています。
次に私の経歴です。

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フィジカルパーク メンタルトレーニング&ビジョントレーニングクラス講師
フィジパ道場   アスリートクラス メンタルトレーニング講師
日本KIDS社交ダンス メンタルボディーマップトレーニング講師

◆文部科学省認定 MWTメンタルウェルネストレーニング協会 認定指導員
◆日本カラーライト協会 ライトプラクティショナー(光のセラピスト)
◆公益財団法人日本スポーツクラブ協会 子ども身体運動発達指導士
◆AFT色彩検定 2級
◆東商会議所 色彩検定 2級

『講演実績』
跡見女子大学      「母の起業について」
高千穂大学       「女性リーダーに学ぶシリーズ ~夫婦で起業~」
神奈川県立港南区某高校 「ママが知っておきたいカラーメンタルセラピー&トレーニング」(PTA講習会)
神奈川県戸塚区某中学校 「親が笑えば子も笑う」(PTA講演会)
スポーツクラブ  「運動指導現場におけるメンタルサポート」

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~これまでの私~

玉川学園幼稚部から大学まで一貫教育を受けて育ちました。そこでは、多くの経験を学ばせて頂きました。

他、習い事は、幼少時代は「お琴やお茶、日舞(これはもう体では覚えていません(汗))」も。ピアノ教師であったピアノもほんの少しさせていただきました。学生時代はテニスの遠征に明け暮れ、肌真っ黒な私でした。ちょうどそのころ「色」と出会いました。
はじめは好奇心から入った「色」の勉強は、想像を超えるすばらしいものとなりました。

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結婚後は25歳で第一子娘を出産しました。

しかしそれはちょっと苦しい出産でした。新生児仮死でした(→その1へ)
その娘が5歳になり、第二子が授かったちょうどその時、夫が「鬱」になりました(→その2へ)
夫は回復してきましたが、我が家族にまた試練がありました。(→その3へ)

 

そんな中、私が大事にしてきたことがあります。
それは「ママが幸せになる。ママの仕事って素敵なんだ♪」という事。

 

ママのための雑貨やさん「ふわふわの森cafe」の始まり

赤ちゃんがいるママは、大好きな雑貨屋さんすら楽しめない。
ベビーカーお断りとか、そんなお店もあった時代でした。
お子さんがいてもおやつを食べながら雑貨を楽しみましょう!をコンセプトに、またナチュラルテイストの思考の雑貨が主流の中、
「もっと彩りでカラフルな生活を送ってみようよ」
の提案も、雑貨屋さんとして、またカラーリストとして始めました。

以前から取り組んでいましたパーソナルカラー診断(その人に似合う色を診断する)も始めました。

 

だからこそ、今の活動にたどり着いたと、今となっては感謝しています。(→その4へ)

 

現在、「心と体」そして「環境」を整えるミッションで、会社を設立、代表を務めています。
「心」「体」そして「その育てる環境」を大事にしています。
中でも私は、「心」を育てる為、このページを立ち上げました。

現在、カラーセラピーはじめ、スポーツメンタルやビジョントレーニングなどの要素を取り入れた、「メンタルトレーニング&ケア」を子供さんとお母さん、他大人まで取り組んでいます。

また「体を動かす活動」としては0歳からの運動教室「フィジカルパーク」を開校。
「運動」から子供を育てるというミッションで活動しています。

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プロフィール①
「はじめての出産・新生児仮死の娘」

25歳で第一子を出産しましたが、娘は新生児仮死で生まれました。

初めての赤ちゃん、体のサイズは十分で安心していたのですが、陣痛室で揚水が一気に飛び出してしまったので(まるでバケツをひっくり返したような量でした)、分娩台で長時間失速状態になってしまったのです。

そして酸素がいきわたらず、徐々に酸素が減ってしまい、心音も低下・・・。

「死んでしまう・・・!」

と、心で泣き叫んだ記憶と、それと同時に意識が朦朧としていて「息をして!」と、隣で夫に励まされたことが今も鮮明に残っています。

そんなわけで「生まれた赤ちゃんは新生児仮死」でした。

元気に出産してあげられなかった自分が情けないし、幸せそうに隣のママが必死で赤ちゃんにおっぱいを飲ませている姿すらかなしくなって、保育器にいる赤ちゃんのために搾乳をしていた私は涙をこらえるのに必死でした。

ママとしてできた事は、搾乳したおっぱいを保育器の娘に届けるだけでした。

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あの頃の「右も左」もわからない新米ママの時代の辛い経験は、いまの「活動」へ繋がっていると思うと、いまはそれも良い思い出です。

元に戻る↑

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プロフィール3
「娘のこと」

思い描く幸せなまま生活とは打って変わり、本当に泣いてばかりの出産・入院生活でした。
私のほうが先に退院して、娘におっぱいを届ける毎日でしたが、経過も良好、思ったよりも早く無事退院。
しかし退院を喜ぶのもつかの間・・・。

今度は極度の食物アレルギーが判明しました。検査の結果、卵・小麦・大豆・牛乳アレルギーでした。予防薬を飲みながら、ステロイドを朝昼晩塗り、ステロイドが日光に良くないと外出もままならず・・・。

近くには何もないところだし実家は遠いし・・・と、いま思えば社会と離れた生活で他の人との接点がない時期でした。まだ周囲の友達は社会人として遊んでいて羨ましかったりも正直ありました。

でも、子育てはやはり素晴らしいものでした。
その子が誰よりも「自分を母として求めている」ことの素晴らしさを感じました。
これは、「母」というものになってみないと感じないもので、
母になって人間愛の深さを感じることができました。

そんな中、娘が小学生でいじめにあいました。
はじめはもしかしたら・・・と感じていましたがそれは本人にとっても私たち家族にも辛い期間でした。

子どもはまだ未熟です。
いじめをした子も、苦い経験として残っているのでしょうか。
今となっては、娘は「いじめをした子も、つらい事情があったのだろう。いまでは痛みを経験できたということに感謝している。」と言ってくれるようにまでなりました。

私もその過去に感謝しなくてはなりません。
痛みを親としても感じる大切な期間でした。

この経験を生かして、いま苦しんでいる子供たち、親御さんへ接していきたいと感じています・・・。
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プロフィール3
「夫の鬱」

「パパはもうこの世にいなくてもいいね・・・」

楽しいはずの食卓でつぶやく夫。
結婚して数年たった時、夫が鬱になりました。

初めは「視界」に変な線が入っている・・というような不思議な言葉を言っていましたが、それが徐々に行動にあらわれてきました。

そして出勤しても電車に乗っていられない。
最後には朝が来ても起き上がれないくらいになっていました。

冒頭の言葉を聞いたときは、この人はお腹にいる子供と、今いる娘を残して死んでしまうのだろうか・・・。
そんな大きな不安にかられました。

こんなつらい気持ちで過ごした「妊婦」時代でした。
この時に、助けられたのは、「運動」と「光(太陽)」でした。
薬も一歳飲まずに、取り組む生活はとても不安でしたが、じっくりゆっくりと・・・。
夫は回復に向かいました。

この時、「薬に頼らないケア」があることを知りました。
夫はリハビリをしながら社会復帰をして、徐々に本来の人間らしい能力を取り戻していきました。
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プロフィール3
「最愛の娘が突発的に飛び降り自殺をしようとした日」

娘が高校生になった秋、テストの真っ最中に、教室の窓から飛び降りようとしました。
理由は、自分の勉強があまりにもできないと自分を追い込んだ末、
『私はこの世から消えてしまえばいいんだ・・・』と思ったのがその理由でした。

しかし、娘はこのときすでに普通の感覚を持っていなかった。
そう、鬱状態にあったのでした。
医師の診断は「適応障害」でした。

この仕事をしているにも関わらず、このような事が起きたことに私は深く自分を責めました。
が、次の瞬間自分を責めるのはやめました。
自分を責めてきても、彼女にとって何一ついいことはないからです。

後悔という文字が頭をよぎるなら、それは打ち消し、「今の最善」を選ぼう顔を上げました。いまこの訪れる瞬間、瞬間を大切にし、娘と生きて行く!
そう自分に言い聞かせました。

自殺をしようとしたその日から、娘はまるでまだ小学校にもいけていないほどの幼い精神年齢になってしまいました。
弟の修学旅行には一緒に行きたいとだだをこね、一緒にバスに乗り込んでしまったり、興味があるからとお店のレジに入ってしまったり・・・。
また、ゴミ出しを頼んでも「人が私を襲ってくる」といった事も言い出していました。

ゆるやかな、のんびりの性格の娘が、まったく別人になってしまったのです。

昼も夜ふとした隙に、娘は飛び降りようとしてしまうので、わたしは数秒のトイレさえ行けない現状でした。
寝ている時に、飛び降りたらどうしよう・・・。
そんな不安から、なかなか睡眠もとれなかったので、
私の身を案じ、入院を勧める方もいましたが、私は絶対に娘を入院させずに、娘を笑顔あふれる子に戻したいと思いました。

私は、この時期ほど娘を抱きしめた日はありませんでした。
娘が愛で満たされて、生きているだけでいいんだ!ってことを、言葉ではなく、 細胞レベルで感じてほしかった。

たくさん抱きしめて
たくさん泣きました。

『ママはあなたが生きていてくれたら、もうそれで十分なんだよ』と、
本人が聞きあきるよ~というくらい、伝えて抱きしめて、そして一緒に泣きました。

「このままでは、さすがに自分の体力が消耗してしまう・・・」と思い、
このときばかりは、娘に睡眠薬を処方していただき、
しばしの睡眠を取った日々でした。

そんな中でも、根拠はなかったですが、
きっと我が家でこの子を笑顔あふれる日が取り戻せる!」と信じていました。

辛くて苦しい時期が続きましたが、それでもきっと光がある!と
暗闇の中に、根拠のない光を見てやみませんでした・・・。
このブログがすでにあったので、私はこの自分の言葉を読み返して、
何度も泣きました。

でも、決して後ろ向きの涙は流さない!と自分に言い聞かせて・・。

 

この頃は、たくさん涙も流しましたが、もたくさん浴びました。
そして、私が今まで取組んできた事を信じて、続けてきました。

そして、飛び降りようとしてから2ヶ月あまり。
娘は驚異的な『を遂げました。

これを綴っている現在、あれからもう2年が経とうとしています。
あの悪夢の期間より前の娘よりも、今の娘のほうが「生き生きと彼女らしい」人生の歩みをしていると感じています。

このお話を記載するにあたり、娘の許可をもらいました。
正確に言うならば、「ママは私のことを、ママのしているセラピーやトレーニングで救ってくれたよね。だから、私の事を公にして、もっと私みたいな子を助けてほしい。」と、言ってくれていました。

彼女もまだ未成年なので、母として表に出すのは非常に悩みました。
我が子ながら、優しくて強い子だなと思います.

公にするには、勇気がいることですが、やはり今回も「私たちのような思いをしている人に届けたい・・」という思いから、娘の申し出を大切にし、書かせていただきました。
この期間はまだまだ文字にして書きたいことは山ほどありますが、ここではここまでにしておきます。

最後に・・・

私は母であります。
会社の社長もしています。

でも、その前にの前に一人の人間です。

家族は、お互いに高めあい、そしてその個人を尊重するためにあると思います。
そして、家族は一つの「チーム」です。

どこにしても、何をしていても・・・。

このチームはお互いの応援者でありたいと願います。

このブログは、私ふわりんが、あなたの「応援者」であることのメッセージと共に、
あなたが「家族の応援者」でいられるためのメッセージを届けていきたい と願っています・・・。

 

 

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